ノベライズ版が発売されたので、満を持して「沙耶の唄」の話をめっちゃする
ノベライズ版「沙耶の唄」
先日、ノベライズ版「沙耶の唄」が星海社より発売されました。15周年記念の今しかチャンスがないですからね。星海社は相変わらずエロゲ関係に力を入れてくれて嬉しい限り。また大槍先生挿絵の本出してください。
文章を担当したのは。アボガドパワーズでお馴染みの大槻涼樹先生。「黒の断章」などを手がけていたこともあり、さすがクトゥルフモノの空気感はお手の物。詳しくは後述しますが、そのおかげでコズミック・ホラー感は原作以上に強め。なんとエンディングは原作のどのルートとも違った締め方となっております。
原作はご存知の通り、グロテスクな世界観だからこそ紡がれる歪で美しい恋愛にクトゥルフを織り交ぜた名作美少女ゲーム。
必死で飾ったのにミラーに僕ががっつり映って最悪になってるな pic.twitter.com/1b4Apo54le
— にゃるら (@nyalra) December 17, 2018
これはノベライズ版・原作・フィギュア・CDを並べた棚を見せびらかそうとしたら、オタクバレしている写真です。
ノベライズを通して数年ぶりに沙耶の唄の完成度を再確認できたので、今回は満を持して沙耶の唄の話をします。
沙耶の唄 沙耶 1/7スケール ABS&PVC製 塗装済み完成品フィギュア
- 出版社/メーカー: ウイング
- 発売日: 2017/08/22
- メディア: おもちゃ&ホビー
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ノベライズ版沙耶の唄
さて、先述した通り15年経った今、再び沙耶の唄を世に送り出したのは元アボガドパワーズの大槻涼樹先生。
先生はエロゲライター時代に、クトゥルフ神話をモチーフにしたモダン・ホラー「涼崎探偵事務所ファイル」シリーズのシナリオを担当。セガサターンユーザーなら黒の断章のパッケージを目にした方も多いのではないでしょうか。それとも「同級生」や「下級生」で女に決まった時間に電話を掛けまくるのに夢中で見向きもしなかったかも知れませんが。
とにかくクトゥルフを題材にしてきたエロゲライターが沙耶の唄をノベライズしたという事実が、文脈的に非常に正しいことだけ覚えておいて下さい。
黒の断章―涼崎探偵事務所シリーズ〈1〉 (パラダイムノベルス)
- 作者: 花園乱,Abogado Powers
- 出版社/メーカー: パラダイム
- 発売日: 1997/02/01
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さて、ノベライズの感想を先に述べると満点です。
あとがきで先生自身が触れている通り、できる限り原作の文章を弄らず現代では違和感のある描写だけいい塩梅に変更したというリスペクトぶりなだけはあり、再現度という意味での文句は一切なし。
一つ、大きく冒険したなと感じた要素として、
文章中に選択肢が発生します。
小説という媒体から急にビジュアルノベルに引き戻す演出は人を選びそうですが、個人的には選択肢を文章中に入れる意図が十二分にわかるのでアリかなと。逆に言えば、ここまで徹底して原作に忠実を心掛けている安心感。
そしてエンディングはオリジナル……ネタバレになると続編を作ることも可能なオチとなっていまして、これまた冒険であり作者もユーザーに受け入れられるか不安な胸中をあとがきで語っておりますが、「沙耶の唄」が15年以上経っても更に多くの人に愛されていくためには広がりが必要でもあるでしょう。
展開自体は原作のメイン2ルート+新規展開といった内容で、既存シナリオ2つを纏め上げる構成は流石の一言。文章だけで読むと、大槻先生の文体の癖もあってクトゥルフホラー感が強い。想像力を掻き立てるクドイまでの描写がラブクラフト全集のようで小気味良い仕上がりに。世間的は沙耶の唄は純愛モノという評価で膾炙していますが、単純にクトゥルフモチーフとして完成されていることが分かります。
話は少し逸れるのですが、三才ブックスの「クトゥルー神話作品大全」は凄いですよ。クトゥルフモチーフ作品どころか、作中で少しでもクトゥルフっぽい要素が入っているだけの作品まで網羅されているというあまりにオタクすぎる一冊。その実、480ページ!
作者は「ウチのメイドは不定形」を手がけた森瀬繚先生。こちらも沙耶の唄に近いテーマでもあるクトゥルフモノラノベですので、気になった方はぜひお手にとってください。テケリ・リ。
人でないモノを愛した男は、最後には自分が人間であることを辞めて
ノベライズ版の感想はここまでにして「沙耶の唄」自体の話をしましょう。
改めて読み返した今で思うことは、散々語られてきた純愛とホラーという要素以外に注目して紐解いていくと、この作品のテーマに「真のハッピーエンドとはなにか」といった部分が強くあることが分かります。
まず、上記の画像のシーンで説明されているように、沙耶の唄のモチーフに「火の鳥 復活編」があります。
沙耶の唄では大前提として、郁紀という世界がグロテスクな肉塊に見える大学生が主人公でして、火の鳥太陽編の主人公も認識障害で人間がロボットに、ロボットが美少女に見える体質に。この主人公が例えばメイドロボを見たらどう認識するのかは気になりますが、それは置いておくとして彼らは共通して一般人の常識とはかけ離れた世界で生きることに。
郁紀も作中で「人でないモノを愛した男は、最後には自分が人間であることを辞めて、恋を成就させるんだ。ハッピーエンドだよ。だろう?」と、突然火の鳥のネタバレを沙耶にかましてきます。厄介オタクですね。
読んでおいて絶対に損はない作品なので、未読の方は郁紀にネタバレされる前に復活編だけでもぜひ。因みに火の鳥の中で特に復活編を推す人間は一発でオタク気質だとわかるのでリトマス紙として便利。
このセリフこそ、作品の根底に触れている部分でして、歪んでいるなりにも美少女と愛情を、それも人間たち以上に純愛として育んでいる郁紀が不幸だと誰が言い切れるかと聞き手である沙耶を通して読者に問いかけています。
忘れがちですが、この作品は大学生モノであるので、冒頭などでは大学生の男女4人によるありがちな恋愛模様が描かれます。中でも郁紀に告白した瑤などは大学生の恋愛観を体現したようなキャラクターで、沙耶に自意識を改造される直前のセリフが「まだ私……好きな人にキスしてもらったことも、なかったっけ……」と死ぬ直前まで処女アピールか? と多少の苛立ちを覚えるほどに恋愛脳。果たして彼女と表面上のカップルを演じる人生と沙耶と二人で引きこもって性に溺れる人生のどちらが幸せでしょうか?
それはね、その砂漠に――たった一人だけでも――花を愛してくれる人がいるって知ったとき。タンポポの花はきれいだね、って、種に話しかけてくれたとき/沙耶
原作では3つのエンディングがあり、どれも解釈によってはハッピーエンドとも取れなくない終わり方に。メインでないルートである、郁紀の認識障害が治って隔離病棟入りするシナリオだって、これから一般の感覚に寄り添って暮らせる訳ですから不幸ではないでしょう。かと言って、沙耶とずっと居続けられた他のルートだとそもそも命を失うわけで。
一般的な幸福論と命を賭してまで歪んだ存在同士で愛し合う純愛。綺麗事でない世界を書き続けた虚淵玄だからこその問い。人でないものを愛した男の末路をハッピーエンドだと言い切れるか、手塚治虫から受け継がれてきたテーマを読者の倫理観に訴えかける名作です。
美少女ゲームなメタ視点で言えば、現実を捨てて美少女に生きるオタクたちが、一般的な男女カップルと比べて満たされているのかとまで繋げることもできますね。自分の生き方に自信と誇りを持っている人間が最も幸せなのでしょう。
ここまで書いておいてなんですが、この作品で一番かっこいい感想は「沙耶のレイプシーンでめっちゃ射精した!」とかそんなんな気がしてきました。実際、あのシーン大好き。
「鬼哭街」も読みましょうね。さよなら。