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僕以外の人間は全員「まんがタイムきらら」の手術を脳に施されている



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 春。さらさらと流れる桜の花びらと、暖かくなり始めた太陽に照らされ、期待と不安に胸を膨らませた新入生たちが、和気藹々と日の当たる校庭を歩いて行きます。

 私も彼女らと同じ、この高校の新入生です。……しかも、遠くから通ってきたので、中学の友達なんて一人も居ません。つまり私は他の子達に較べて、大きく不安の方に比率が偏っている状態なのです。

 当然ながら、自分以外の名前を一切知らないクラス表を見て、指定の教室を目指します。クラス表の前では、同じ中学らしき子達が、同じクラスかの答え合わせで一喜一憂している様子が窺えました。そのキャッキャとした黄色い声が、校門をくぐって以来、誰とも会話をしていない私の心臓を刺激していきます……。

 遂に教室の前まで辿り着いてしまいました……。ドアの向こうでは、これから一年間同じ教室を共有する仲間たちが待っている筈です。この時点で心臓は破裂寸前。ここまで来たら、後は勢いのみです! いじいじしていても友達はできないぞ、私!

 「おっ、おはようございますっ!」

 私はドアを開けると同時に、大声で叫びました。それが一般的に浮いている行動だった事は、驚いて無音になった教室の様子から、一瞬で理解できました。しまった、気負い過ぎて変な子になっちゃいましたか……? これは入学早々やらかしてしまったのでは……?

 元から破裂しそうだった心臓が、飛び出しそうなくらいに内側から胸部を蹴り飛ばしてきます。小中の頃は、当たり前のように友達が居て、決してこんな空気に試される事はありませんでした。初めての経験に嫌な汗が全身から止まりません。怖い……。

 「おう! おはよう!」

 教室の入り口で泣き出しそうになった私を、挨拶の返事という一筋の光明が照らしてくれました。女性ながら力強い声。スポーツとかやっていそうな感じの……。声の方向へ視線を向けると、私を救った女神が微笑みかけてくれています。黒髪のボーイッシュな美人さん……。スラっとしていて、男子にも女子にもモテるタイプ。って言うか、この時点で私も惚れちゃいそうです! あわわわわ……。

 彼女の挨拶を皮切りに、他のクラスメイトたちも私に興味を示してくれました。

 「なに? 教室入るだけで、緊張しちゃってるわけ? アンタもしかして友達居ない系?」

 生意気そうな声の、金髪ツインテールでツリ目の子が皮肉を飛ばしてきます。わぁっアイドルみたいにかわいい子……。さっきの美人さんが周囲に慕われるタイプなら、きっとこの子は愛されタイプでしょう。彼女の語気には、不思議と優しさも含まれているような感覚を覚えます。

 「そんな事言って、お前もボクが今朝迎えに行った時、めっちゃ不安そうにしてたじゃんっ!」

 「ちょっ、なにバレしてんのよっ! 入学早々イメージ下がっちゃうじゃないっ!」

 黒髪の美人さんに煽られて、ツインテールの子は顔を真っ赤にしながら、お馬さんのように暴れだしました。二人は幼馴染なんでしょうか。微笑ましい程に仲が良いです。

 二人のやり取りを見ていたら、ドアの前までつのらせた不安はどこへやら、いつの間にか教室のみんなたちと愉しい三年間が待っているような気がしてきました。

 「それでっ! アンタは一体誰なのよっ! 言っとくけど、元はと言えばアンタのせいで恥かいたんだからねっ!」

 「まぁまぁ。そんな喧嘩腰に絡まなくても……。ごめんね、彼女これでも仲良くしたいと思って、絡んでくれてるんだよ」

 「ちょっ、勝手に何言って……!」

 「それで、キミの名前は?」

 今にも噛み付きそうなツインテールの子を慣れた手つきで抑えながら、黒髪の美人さんが尋ねます。

 うぅ、教室中が私に注目しています……。私がここまで注目された事って過去にあったでしょうか……。まるで私、漫画の主人公みたいな────

 自慢のピンク髪を揺らして、大きく息を吸い込み、私は教室のみんなに聴こえるよう声を張り上げます。

 「私の名前は────

 

 

 

 ジリリリリ……とスマホから目覚まし音が聴こえてくる。最悪な目覚めだ。重い上半身を無理矢理起こすと、僕の身体はもうキラキラ輝く女子高生じゃなくなっていて、どこにでもいる底辺のフリーター男のそれだった。

 寒い。夢の中の暖かな陽気は完全に消え失せ、真冬の冷気に包まれたボロアパートの窓には、びっしり結露ができている。圧倒的な現実感の前に、無意識に吐いた息が白い。

 「仕事行くか……」

 これから僕が着るのは女子校の制服でなく、爽やかさや若さの欠片もないベージュの作業着だ。本来なら、現場で着替える規則なのだが、面倒なので最初からこの状態で夜勤へ向かう。

 もし、僕が夢の内容通りにきらら作品の主人公だったら、ここでオシャレのために鏡を見ながら、ファッションを吟味し右往左往していたのだろう。読者のために、下着姿のサービスカットなんて晒したり。憂鬱だ。

 

 仕事は至って単調だ。工場内のベルトコンベアを流れる大きなダンボール箱を、凹みや傷がないか検査しつつ、たまに倒れている奴をまっすぐ直したりするだけだ。「やりがい」や「夢」なんて鮮やかな言葉とは遠く離れた、猿でもできる単純作業。実際、この工程を人工知能を搭載したロボットに任せる工場もできるそうだが、早くそんな未来が来て欲しいと切に願う。

 ああ、ここがきらら作品の世界なら、こんな非人道的な仕事なんて存在しないんだ。彼女たちの世界のお仕事は、もっとアイドルとか……アットホームでわいわいした飲食店とか……。とにかくこんな陰気な工場なんて、1ミリたりとも画面に映ることはないだろう。今の鬱々とした環境はきらら以前に、楳図かずおの「わたしは真悟」に近い。

 そんな空想に耽っていると、口うるさい上司が注意してくる。どうやら、傷つきの箱を一つ見逃して流したらしい。因みに箱の中身は、なんだか分からない電化製品だ。興味ない。

 上司は「傷ついた商品を購入したお客様はどう思うか?」と激昂しているが、そんな事知ったこっちゃない。家にエアコンすら無い人間にとって、高そうな電化製品とは一切縁がないのだから。

 適当に受け流していると、どうやら既に朝になっていて、今日一日の作業が終わったらしい。助かった。

 ここできらら漫画なら、同僚たちとシャワー室でキャッキャしながら汗を流すものなのだが、こんな工場のメンバーがそんな事をするわけがない。全員くたくたで今にも死にそうだ。死んだ魚の眼……。

 そもそも美少女は、何気ないシャワーですら優雅で美しく、芸術へと昇華できるのがズルいと思う。僕だって美少女になって、友達と背中合わせで湯船へ入りたいし、性を自覚し始めてきた友達の弟と一緒に入ってドギマギさせるような、鉄郎に対するメーテルの役をやりたい。

 

 なんて考えてる間に帰路に着く。アパート付近の通学路では、イヤホンをした学生たちが俯きがちに登校している。今から帰る自分と、今から一日を始める学生らとのすれ違いに、自分が社会から外れた人間である事を自覚する。

 それにしても、学生たちも学生たちだ。もっとアニメみたいに、手を繋いだり、遅刻で焦って走りながら登校できないのだろうか? アレで生きていて愉しいか? せっかく高校生という身分なのに勿体無い。

 

 帰宅して私服に着替え直し、昼の間に精神科へ向かう。長い夜勤生活で自律神経がすっかり壊れて、睡眠導入剤がないと上手く眠れないのだ。

 精神科医の診察はいつも適当だ。僕はこれでもかと日頃の愚痴をぶちまけるのだが、彼は「はいはい」と決まった返事しかよこさない。

 「それで無能な上司が毎日ウザいんですよ。あいつだってよくミスする癖に、この前だって……」

 「はいはい」

 「とにかく生きていて何も愉しくないんです。夢のなかの僕は、とっても希望に溢れていて……聞いてます?」

 「はいはい」

 そんな不毛なやり取りを終えると、彼は怠そうに安価の眠剤を袋に詰める。あれくらいのクスリでは、既に眠剤漬けになった僕の身体に効きやしない。言ってもどうにもならないので受け取るしかないが……。

 ヤブの精神科医から受け取った袋には、案の定効き目が一番薄いヤツが入っている。向精神薬個人輸入禁止になる前に、ネットで大量に注文していて助かった。これでは眠れないので、明日届くそっちに頼ろう。

 適当にお礼を述べた後、さっさとこんな所から席を立とうとすると、珍しく彼が「はいはい」以外の言葉を喋った。

 「キミには変身願望や、別の環境へ移りたい欲求が強いようですね。そうですね、例えば今ならVRなどで気分転換するのも良いかも」

 

 「VR」ってなんだろう。最近、そんな単語を耳にする機会が増えたような気もするが、こんな世間離れした生活なので、いかんせんそれが何なのか、概要を把握していない。もしかすると、僕以外の人間は「VR」を使って、毎日をきらら作品のようにキラキラ輝かせているのではないだろうか。

 調べたくてうずうずしてきたが、早く寝ないと今夜の夜勤へ響くので、ヤブ精神科医から貰った眠剤を、ワンシートの半分飲んで無理矢理布団へ入った。

 

 夢の中の自分はまたしても女子高生で、キラキラ輝く同級生たちと愉しい日常を過ごしている。

 勿論、スマホのアラームに起こされた僕は成人男性で、寒さで鳥肌立った汚い肌をレンジでチンしたタオルで大雑把に拭きながら、ベージュの作業着にさっと着替えて仕事へ向かう。寒空の夜風が体温を奪っていく。底辺のフリーター相手には、月すら優しく照らしてくれはしない。

 仕事は相変わらず退屈で、気晴らしに上司へVRを知っているか尋ねたら、息子がPSVRという物を買ってハマっていると教えてくれた。そのまま、話が年頃になった息子の愚痴へと続く。この人は家族が生き甲斐なのだろうか。家庭のために生きる生活はあまり理解できない。

 いつの間にか朝を迎えたので、会話のない同僚たちと別れ、陰気な学生たちとすれ違いながら、ボロアパートへと帰宅した。あいつらは何が愉しくて生きているのだろう。その答えは、僕もまだ持ちあわせていないのだけれど。

 寒さをごまかすため、布団に包まりながら考える。

 この貧相な格好も美少女なら様になるのだろうか。キャプとか撮られて、SNSに貼られていくのだろうか。そんな事より、今はVRだ。確か上司はPSVRがどうとか言っていた。

 調べてみると、底辺フリーターでは到底手が届かない価格をしていたので、PSVRの購入は速攻で挫折した。そもそもPS4すら買えない身分だし。

 考えると辛くなってきたので、気分転換に個人輸入で届いた向精神薬を試してみた。これはインドかどこかの工場で作られたジェネリック医薬品で、成分は共通だと書かれてはいるものの、精神科で貰える本物と較べると明らかに出来が悪い。しかし、そのお粗末さ故に頭をバカにしたい時は寧ろ便利とも言える。

 段々と不安が消えてきた気がする。プラシーボ効果なのだろうか。なんだか愉しくなってきた。そうだ、VRがないなら自分で創ってしまえばいいのだ。

 思い立った僕は、部屋に転がっているダンボールを切り取り、虫眼鏡のレンズをはめ込んだ後、ズボンから取った紐を結んでVRゴーグルを完成させた。

 天才だ。こんな簡単にVRを作って見せるなんて。日頃、工場で勤務していた経験が役に立ったかな。突っ立ってるだけだけど。

 僕は嬉しくなって、我慢できずにダンボールと虫眼鏡のVRゴーグルを装着した。

 

 あれ? なにも見えないな。ああ、そうか。ソフトを何もインストールしていないからだ。このVRゴーグルに「まんがタイムきらら」を繋げる事で、僕はキラキラ輝くきらら世界へ没入するのだ。

 でも、どこにインストールするんだ? あっ、わかったぞ。脳味噌だ。脳に直接インストールすれば良い。VRゴーグルと頭部は繋がっているのだから、それで全て解決する。

 僕はゴーグル越しのおぼつかない足取りで、本棚からまんがタイムきららの山を取り出すと、脳味噌に片っ端からインストールした。あっ、あっ。

 まだだ。まだきらら世界は見えてこない。きっと、僕の精神に不安があるからだ。せっかく輸入したのだから、もっと向精神薬を飲まなきゃ。ごくごく。がぶがぶ。

 見えてきた、見えてきた。目を開くと、そこにはあの日の夢の続きのような光景が広がっている。

 「きららだ! 僕はきらら作品の主人公になったんだ!」

 昂奮が臨界点を超え、気づけば僕はVRゴーグルを装着したまま、外へ飛び出していた。

 「すごい! すごい! 教室のみんなが私に優しくしてくれる! みんなこんなに美少女だったんだっ」

 その辺をスキップしながら進んでいくと、なんだか叫び声のような音が耳に届く。こんなに愉しい毎日が待っているんだ。そりゃ誰だって叫びたくなるだろうな。

 「愉しい、愉しい! 初めからこうしていれば良かった。今全部理解できたよ、工場の同僚も陰気な学生たちも、全員脳にまんがタイムきららをインストールしていたんだねっ」

 そのまま走って突き進んでいくと、一面に蝶々が飛び交う綺麗なお花畑が広がった。

 「あはは、あはは。私、いまとっても幸せ! こんなに綺麗な身体になって、仲良しのみんなが傍に居てくれて……あはははは」

 私は友達たちとお花畑を駆けまわる。お友達はお弁当を用意してくれていたので、シートを広げてみんなでランチタイム。お腹いっぱいになったら、みんなでボートに乗って競争。次はちょっと歩いて遊園地へ。観覧車の頂上からは、私が住んでいるお家が見える。ママは晩ごはん作って待っているのかな? ごめんね、今日遅くなるかも。

 あはははは、遊んでいたら夜になっていたので、つい習慣で工場の仕事場に入っていた。私服にVRゴーグルという私の出で立ちに同僚たちはざわめき、上司がガミガミ怒っている様子がノイズになる。同僚たちもそれに釣られて「壊れた」「壊れたんだ」と騒ぎ出す。うるさいなあ。

 苛ついた私は上司を殴って、さっと踵を返した。美少女を怒らせた男はお仕置きが待っているものだ。因果応報。スキップしながら工場をあとにする。思えば上司も可哀想な人だ。彼の息子はVR世界の真実を視たに違いない。きっと彼だけがまだ脳に何もインストールせず現世を生きているのだ。カアイソウ、カアイソウ。

 今日は丸いお月様が綺麗な夜だ。宇宙の煌めきを感じ、神秘的な気持ちになっていると、ミステリアスな紫髪の美少女とすれ違う。……新キャラだ!

 

 

 

 ボロアパートの隙間から入ってくる冷風で、玄関に寝転んだままの僕は目覚めた。

 いつの間にか帰ってきていたのか。スマホを見ると、勤務先から夥しい数の着信がきている。何も考える気力がないので、無視して電源を切る。

 正気に戻ると、昨日の夢のような光景を思い返し、現実とのギャップに涙が止まらなくなってしまった。ああ現実へ帰ってしまった。極めて正常な思考を取り戻してしまった。

 取り敢えずこの事を精神科医へ報告しよう。丁度、今日も予約を取ってある。

 怠い身体を起こして、軽くシャワーを浴びた後、唯一まともそうな私服へ着替えて精神科へ向かう。

 すれ違う人々は、あの世界を知っているのだろうか。知っているなら、よく現実の厳しさに耐えていられるな。尊敬に値する。僕には厳しい。

 そうこうしている内に、精神科に着いた。ヤブの精神科医は、僕を椅子に座らせると、怠そうに話を聞く体勢になる。どうせ、何を話しても「はいはい」とだけ返事して、安価の眠剤を処方するつもりだろう。

 「それで、最近はどのような調子なんですか?」

 事務的な会話だ。彼からは人間の暖かさが一切感じられない。医者キャラは、もっと艶めかしい感じで接してくるものなのに。正気に戻って以来、どうも他人がつまらなく感じてしまう。

 そう言えば、僕は何でここへ来たんだっけ。ああ、そうだ。先生に頼みたいことがあったんだ。僕は大きく息を吸い込んで、声を張り上げて言った。

 

 ──先生、知ってますか? 今街を歩く全ての人は、全員まんがタイムきららの手術を脳に施されているんですよ。だから、あいつら毎日現実を生きていく事ができるんです。じゃないとみんな自殺してますもんね。おかしいと思ったんだぁ。今日は、僕もその手術が受けたくてやってきました。愉しみだなあ。あっVRゴーグルは自作したので大丈夫ですよ。ちゃんと持ってきましたし。見ますか? 僕のとっておきのゴーグル。自信作なんですよ。いやぁこんな簡単に自作できるのに、店頭ではバカみたいな値段で売られていて卑怯ですよね。僕たちは常にあいつらから搾り取られて生きていくんですよ。おのれ社会めっ! 許せんっ! それで先生……先生聞いてますか? 私はピンク髪の女の子なんですが、初登校の日に自己紹介で……

 

 参考:【1541】皆と同じようにipodの手術を受けたい

 

 

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